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日本ウッドデッキ協会からコラム

ブラジルの光と影 その4

2018年4月3日

 

 

 

「何でもありのブラジル」                                                                長井 一平

 

このセリフを学んだのは、ブラジル人の考え方を日本のお客さんに説明している時

だった。皆さんはじっと聞き入ってくれて理解してくれる。たとえそれがバイヤーで

ある自分たちにとって好ましくない内容であっても、ブラジルの状況を飲み込んでく

れる。「ブラジルはなんでもありですからね」と、ある時は微笑しながら、ある時

は、苦渋の表情で、手を打ってくれる。大所高地に立った判断基準だ。

 

この章では、「日本側が何故そのような判断をするのか?」ではなくて、何故「ブラ

ジルはなんでもあり」となるのかを考えたい。

 

◎。原理原則がないから、何でもありになる。出たとこ勝負。

 

◎。民族の歴史が短いから、国民の知的水準が低い。「利他の心」と言う高度な精神

水準には届かない。

 

◎。多民族が共生する移民社会だから、コンセンサスが出来にくい。

 

この様に考えて、この章を書こうと思っていた時に、今から50年前の昔、22歳の学生

時代に初めてブラジルに着いた時の日記が出て来た。全く純粋な若い頃、

 

「無秩序と言う秩序」の表現でその頃のブラジルの初印象を書いている。

 

長くなりますが、その後45年住み着く事になるブラジルへの熱い心を思い出しなが

ら、転載します。

 

『初めてブラジルの土を踏んだのは、1965年のカーニバルが終わった頃だった。場所

はリオデジャネイロの街角、午後の蒸し暑さが町全体を覆っていた。同行者は池田、

日大の農学部、富山のド田舎の出身だから呑気な性格。石造りのどっしりしたビル、

幅広い道路の両側には熱帯樹が茂り、広葉が暑さを防いでいる。その道路にテーブル

を並べて営業しているのは、有名な「カフェジニョ」、まず手始めにワンカップ注

文。周りを見回すと、背広とネクタイの3-4人のチョビ髭のずんぐりした男たちが、

真剣そうに話し込んでいる。道路に広がったテーブルには、ビール瓶が並び、海水パ

ンツの若者たちが数人楽しそうに話ししている。

 

海パンと背広が対照的だ。それらの男たちの真ん中を、一人の娘が通り過ぎる。ピー

ンと張り切った胸を隠す真っ赤なブラジャー。こんもりと盛り上がったお尻をぴっち

りと包む真っ白なショートパンツ。こんがり焼けて、思わず食らいつきたくなる様な

伸びきった手足。神さんは、こんなに素晴らしい生き物を作り上げたのか,と、惚れ

惚れ見とれる素晴らしいリオのカリオカ娘。

 

背広の男たち、ビールの若者、男たちの全てがやっていることを中止してその娘を見

る。若者の一人が感極まって、「ピピ―」と口笛を鳴らす。するとその娘は振り返っ

てにっこりこぼれる様な笑顔で答える。「見てくれてありがとう。褒めてくれてあり

がとう」と言わんばかりの素晴らしい挨拶。 「おい池田。この国は、去年、軍事革

命があったのだぜ。チリ―やアルゼンチンの様な社会主義国家にならないように、ア

メリカがテコ入れしたのだ。俺は、戦車が町の中を走りライフル銃の兵隊が街角に

立っているのだと想像した。銃弾の跡だって見つける事が出来ない。そして町の真ん

中をビキニのカリオカ娘が歩いている。なんてこった。「おおそうだな。しかし暑い

な!」 ピント外れの池田には、いつも調子を狂わされる。翌日はサンパウロだっ

た。高原都市600メーターの肌寒い商業都市。ジョアンメンデス広場、サンパウロの

中心街だ。リオと同じ様に、石造りのビルが並ぶ。車体の上に、長いポールを伸ばし

たトロリーバスが、雑音も無く静かに過ぎ去って行くかと思うと、その側を年代物の

古びたバスが真っ黒な廃棄ガスをもうもうと吐き出しながらよろよろと走る。その隙

間を縫ってフォルクスワーゲンの小型車が、まるで気違い犬の様にクラクションを鳴

らして走り抜ける。歩行者は危なくて車道に出ていけない。信号がある交差点。人々

は信号が変わるのを待つ。しかし車は多くない。だからその流れを見ながら、信号を

無視して渡る。何時、フォルクスが飛び出すか?、危険である。「君、あぶない

よ」。「うん、分かっているよ。仮に事故にあっても俺一人の問題だよ。心配不

要」。

 

そんな無言の会話が、信号待ちの人々の中でされているのかも知れない。自己主張が

先にでてくる移住者社会のやり方か。ふと前を見ると、本屋があり、正面のウインド

ウにブラジルの旗が広げて張ってある。文字が書かれた国旗。

 

「ORDEM E PROGRESSO」(秩序と進歩)。

 

昨日のリオと今日のサンパウロで、強烈なカルチャーショックに打ちのめされていた

僕の頭は、この瞬間爆発した。「何だって!!秩序と進歩だって!!。何処にそれが

あるんだ。皆が勝手に好きな様に行動しているのだけだ。しかし、ちょっと待てよ。

個人がそれぞれ自分のやり方で動いているのだ。信号を無視してひかれても自分の問

題。 「車が来ないのに、青信号を待っているのはおかしいよ」と主張しているのか

も知れない。「そうか、〈無秩序と言う秩序〉が、この国にあるのだと理解したらわ

かり易い」。

 

 

 

「何でもあり」の考え方は、「無秩序と言う秩序」の国民性から来ていると理屈を捏

ねてみても、それが商売などの利益が絡まった場面は、「お前、甘ったれるのもエエ

加減にセー」と喧嘩になっても可笑しくない筈だ。

 

日本には、「何でもあり」の考え方も、それを受け入れる風土はない様に見える。し

かし、「万物すべて神さん」と考える日本人の精神風土を思うとき、「何でもあり」

は、ブラジル人よりも日本人にふさわしい考え方ではないのか?との疑問が

 

沸き起こって来ました。次回第5章でそれを書くために、今回、50年前の大学生に登

場して貰いました。以上。