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日本ウッドデッキ協会からコラム

ブラジルの光と影 その5

2018年4月3日

「何でもあり」―ブラジル人と日本人の考え方は、同じじゃないのか??

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「万物すべて神さん」の精神風土を持つ日本人は、ブラジル人と同じ「何でもあり」の考え方を持つのではないのか?を論ずるのが、今回の目的です。

 

まず初めに、「何でもあり」の本家のブラジルの話をします。この話をブラジルの知識人にすると、皆、嫌な顔をします。ブラジルの始まりが、ポルトガルの囚人と売春婦であったと言う話だからです。

「15世紀の世界大航海時代、ポルトガルとスペインの若者が世界に飛び出して行った。スペイン人は、ペルーのインカ文明を破壊して、金銀財宝を略奪して本国に持ち帰り、それが当時の海外植民地の運営資金となった。ところが、ブラジルには金目の物がなかった故、ポルトガルの本国政府はブラジルに軍隊を送って管理する事が出来なかった。その隙を突いて、オランダが東北ブラジルのレシーフェを侵略した。「さてどうするか?」考えあぐねたポルトガル皇帝は国中の監獄に公布を出した。

「すべての囚人を開放して、ブラジルへ送れ」。そしてリスボンの警察に「すべての売春婦を捕まえて、船に乗せろ、ブラジルへ連れて行け」。軍隊の力で植民地を制圧する代わりに、我がポルトガル国民が、ブラジル国民と混血を重ねることによって、第二の祖国を創るのだ。」その時、ブラジルへ向かった男女は、約800人だったと言われている。

 

皆さんが、コパカバーナとブエノスアイレスを続いて訪問する時、二つの町の異なる雰囲気に気が付くでしょう。アルゼンチンには、アンデス文化を破壊したスペイン人の子孫が暮らし、ブラジルには現地人たちと混血して新しい国をつくった人たちの子孫が住んでいるからだ。ブラジルにはアンデス文化も金銀財宝もなかったが、白人との混血によって、勤勉で従順な男たち(モレノ)と、グラマーで褐色の美人(モレナ)が生まれている。その彼らが外国人に接する時、心の底から歓迎する。Avenidaで全く見知らぬ人でも視線が合えば、軽く微笑みを浮かべる。自分たちと外国人との違和感が、生まれた時から無い様に思われる。素晴らしい国民性だ。(日本が観光立国となって、多くの外人たちがやってくる。そして彼らが驚く事:日本人の皆が、軽く頭を下げ、柔らかい微笑みを浮かべること。)

あの頃、ポルトガル皇帝が苦肉の策として打ち出した「混血に依る植民地管理」、これこそ「何でもあり」のブラジルの本家本元の政策だと思う。オランダに国を奪われないためには、800人をブラジルへ送らねばならなかったのだ。

これは「銃剣を使わなかったポルトガル本国の植民地政策」だ。その植民地だったブラジルが、今ではBRICsの一国に並び、G20の6番目に数えられる経済大国に成長している。アルゼンチンは、残念ながら、ブラジルの後塵を拝している。(何故だろうか?)。

 

その事実に気が付く時、私は約150年前の日本の出来事を思い出す。「明治維新」である。銃剣も血も流さずに行われた市民革命である。「勝海舟と西郷隆盛」が成し遂げた「大政奉還」の決定である。江戸幕府300年間の武士たち、いや、それ以前の鎌倉時代から始まった侍の身分をすべて帳消しにして、すべて一人の国民にさせるというこの快挙が、その後の明治維新を起こし、現在の日本の繁栄に繋がっている事を思う時、何故そんな政策が実行されたのか?と言う疑問を感ずる。

 

日本はブラジルの様に異人種の集まりの国家ではないから内戦は起こらないと言われるが、蒙古地域から日本列島にやって来た人種(縄文人種)と、東南アジア地方や、中国からやって来た渡来人種の全く異なる2人種が住み着いたのが日本だと言われている。その異なる種族である彼らが、大きな内部抗争も起こさず、黒潮海流と親潮海流に挟まれた豊かな自然の中で、3000年間、外国の侵略もなしに今まで続いてきたのが、現在の日本である。人々は自然を敬い、自然と共生する事を学んだ。田舎を訪問すると至る所に見られる神社、お寺、お地蔵さん、山の神、水の神、滝の水で身を清める、自然のすべてに神聖なものが宿っているとして子供、子孫に伝えて来た。いわゆる、八百万(やおよろず)の神の思想である。一神教は一つだけの価値しか認めない。しかし、八百万の神は周囲のすべてを包含して、全てが順調に解決される事を目指す。

 

ポルトガル皇帝が行った事は、財政難の為に軍隊は派遣できなかったが、800人の先発隊が混血の移住者国家ブラジルの始まりとなった。それは、「何でもあり」の政策だったかも知れないが、それをやらないと、折角の領土が、オランダに侵略されてしまうと国家の危機があった。そしてその危機を乗り越えたブラジルは、世界からの移住者を受け入れて、混血の人種融和の国家を創り上げていった。そして世界からの投資を呼び、素晴らしいブラジル経済をを創り上げた。日本人の持つ、全てを包含して、全てが順調にいく事を望む「八百万の神」の思想に似ている様に思える。

 

一方、日本は、「大政奉還」と言う社会機構の大変革が、国民の反対もなく、流血の惨事もなく、平和裏に行われた。それは世界の市民革命に全く例のない素晴らしい快挙であった。何故そのような政策が実行されたのか?

日本人が伝統的に持つ、全ての人々が平和に暮らせる国家の建設と言う思いがあった事は間違いないが、この国家改造をやらねば、黒船を始めとする世界列強が日本を侵略するという危機意識があったからだ。目の前の中国でアヘン戦争が起こり、イギリスが中国を蚕食している。そして、イギリスやアメリカは、日本で内戦が始まるのを待っている。それが十分に予見出来た西郷と勝の二人にとっては、日本の将来を考える時、大政奉還をして日本を一つの政府にまとめ上げるより他に方法はなかった、いわば、後に引けない状況だっただろうと推察される。「何でもあり」と、最後のカードを振り出したのだと思う。

 

第4章の「無秩序と言う秩序」と、第5章の「ブラジルと日本は、同じ考え方」において、地球の反対側に存在する2つの国家が、その歴史において、同じ様な危機を乗り越えて、今がある、という事を書きたかった。そして、その裏には、「何でもあり」と言う我々の日常生活の原則が生きていることに気が付く。こんな話は、専門の歴史学者にとっては一笑に付されるだろうが、「国を創るのは国民、それを運営するのも国民」と言う、「人間の心がすべてを決める」と言う人間の真理が思い起こされる。

以上。                                     長井 一平