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日本ウッドデッキ協会からコラム

ブラジルの光と影 その3

2018年4月3日

「モノカルチャー経済、マルチカルチャー経済」       長井 一平

 

1950年頃、日本の大学で南米諸国の経済を教える時、その枕詞として必ず出て来たセリフは、「ラテンアメリカの諸国は、どこもモノカルチャー経済です」と言う前置きだった。当時の中南米経済を語るには、あまりにも資料不足だったから、誰もが同意できる一般的な経済情勢から講義を始めなければならなかったのだろうと思う。

「モノカルチャー経済」とは?? 「単一栽培(資源)の輸出収入によってのみ支えられた国家経済」である。当時の中南米の輸出製品を見てみよう。

ブラジル(B)のコーヒー。

アルゼンチン(A)の小麦。

チリ―(C)の錫鉱石。

ペルーの銅鉱石、エクアドルのバナナ、キューバの砂糖。

当時、(A)(B)(C)3国は、モノカルチャー諸国の先進国と呼ばれていた。

 

「モノカルチャー経済国家」とは、16世紀の大航海時代に、スペインやポルトガルの冒険野郎達によって発見された中南米の国々が、生きて行く為に生み出した苦肉の策だと思う。目の前にある自然の資源を、外貨を稼ぐための手段とした。ブラジルは、温暖な気候がコーヒー栽培に適し、そこへ、アフリカから多くの奴隷を連れてきて、世界一のコーヒー生産国となった。アルゼンチンは、その広大で平坦な国土を、大放牧地と小麦栽培地へと変化させた。チリ―やペルーは、錫や銅の鉱石を掘り起こして輸出製品とした。

この様に、海外の植民地が自国の力で生きて行き、そして経済力が出来れば、次は宗主国の工業製品の輸出市場になる事は当然であった。しかしそれだけで終わらず、植民地がさらなる経済発展をして行ったが故に、両者の立場が入れ替わってしまった。

 

ブラジルがその恵まれた気候を利用してコーヒー栽培をしたと言うなら、日本もアジアモンスーン気候の高温多湿の気候条件を利用して、アジアで最大のコメ栽培国家となり、さらに、コメを通貨として用いて、国内経済を活発化させた。しかし、ブラジルのコーヒー栽培との大きな差は、ブラジルはその仕事を黒人奴隷にさせたに反して、日本人自らが行った事である。それによって、今に続く日本独特の「ものつくり」、そして自然と共に生きる「日本人哲学」が生まれて来て、現在の日本の繁栄があるのだと思う。

 

しかしながら、宗主国の略奪的植民地経営はいつまでも続かなかった。中南米の民族独立意欲は自主的経済国家へと発展していったからである。

ブラジルの場合、1940年代、欧米資本の自動車工業進出をきっかけとして工業国家へとテークオフ(Take Off)して行った。従来の「モノカルチャー経済」から「マルチカルチャー経済」への発展変身である。つまり「MONO」プラス「MULTIPLE」となっていった。(1)+(1)=(2)となる。さらに(1)が加われば(3)となる。その秘密は、ブラジルの「大きな国土、無限の自然資源」にある。

具体的に例を挙げてみよう。

(1)。私が学生時代に初めてブラジルについた頃、ドイツのフォルクス社が進出して、あの有名な小型カブト虫タイプの国民車を作り、国民に愛された。人々はそれをフォルクスワーゲン(ドイツ国民の車)と呼ばず、ブラジルワーゲン(ブラジルの国民車)と呼んだ。これが一般の国民をして、「俺たちの国も、これからは宗主国の思惑に左右されない経済的独立国家になっていくんだな」と、自信を高めたきっかけであった。その後、ブラジルは、(A)(B)(C)モノカルチャー先進国から世界の先進国の仲間入りを果たしたことは書く必要がないだろう。

(2)。その後、ブラジルに住み始めて、アマゾン木材の仕事で小型飛行機で何度もアマゾン樹林を眼下にする機会があった。30年前になろうか?、「セーラペラダ」(裸の山)と呼ばれる露天掘りの金山が世界に報道された。ある時、その上空を仲良くなったパイロットが飛んでくれた。ざっと目測して、直径500メーターはある様な大きなどんぶり鉢が掘られており、その地底約50メーターの底から、1000人を超えるかと思われる体中泥まみれの男たちが、砂金が混ざった袋を背中に担いで、梯子を一段一段と登っている姿を見た。人間の欲望、悲惨、その様な普通の感情を別にして、アマゾンの大密林の中に、とてつもない金が埋まった土地を探し出して、その富を求めてブラジル中から集まってくる男たち。「宝物を見つけた」とは、私たちが普通の生活で使う言葉だが、広大なアマゾン森林の中の宝物となると、スケールが異なる。

◎。それから数年して、私と同じ様に小型飛行機で森林を調査していた鉱山技師が、一面の樹海の中で、大きな岩山が露出しているのを発見、その表面がキラキラ輝いていた。専門家の直感、詳しく調べてみると、300年間露天堀が出来る鉄鉱石の山であることが分かった。

(3)。ブラジルの中央部分、ブラジル高原地帯に、「セラード」と呼ばれる農作物栽培には適さない広大な面積がある。ブラジル政府の要請に従って、田中角栄首相が現地を訪問した。そして日本の技術で土地改良をして、大豆栽培をODA事業とする事が決定された。もう30年ほど昔の話だろうか。その後、大規模機械農業に慣れたアメリカ資本が進出、大豆はブラジルの主要輸出製品となっている。

これをまとめると:

モノカルチャー:コーヒー

マルチカルチャー:アマゾン木材、金と鉄鉱石、大豆、

(終わりに)

私は、この3章で何を言いたいのだろうか?

「モノカルチャーで始まったブラジル経済が、50年近く経過した今、マルチカルチャー経済に変身している。そして今後ますますマルチ化して行くだろう。ところがブラジル人自体、自らの経済発展の為に、知力も金力も、何もつかっていない。すべて周囲からの頂きモンである。そう言う国であり、国民性なのだ。」

最後に、ブラジルが大好きな貴方への提案。

まず、100頭ほどの牛と牧場を買う。電気、水道が完備した、総イタウバ造りの豪邸を建設する。全部で、3000万円ほどで出来るだろう。北朝鮮がヤバクなってきたら、そのアマゾンの別荘へ引っ越し。様子見をするのです。恐らく、その後の情勢が無事になっても、日本へ戻ろうと思わなくなるでしょう。

以上。