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日本ウッドデッキ協会からコラム

ブラジルの光と影 その2

2018年4月2日

ハイパーインフレ
数年前にアベノミックスが始まった頃、2%のインフレ目標を掲げて、これを日本の経済政
策とすると発表された。
あの時、その報道に驚いた。「政府がインフレの音頭をとるなんて、、」
ブラジルでは、インフレは禁句である。
政府も、過去の苦い経験から、インフレの兆しが現れると、金利の引き上げなどをして、その芽を潰す事に全力を尽くす。
今月の2%のインフレは、翌月には4%、その次には6%と次々と倍増するからだ。
国民も政府も、「インフレ怪獣」と恐れる。
それほど恐ろしいインフレを、なんとまた、政府が音戸をとって、「皆さん、インフレを2%に上げよう」と言うのだから。
それから1年経過してもインフレにならない日本の経済指標を見て、私は、ブラジルのインフレと日本のインフレは、全く別物であることを知った。
ブラジルは、「ハイパーインフレ」、日本は、「目標価格誘導指数」
ブラジルは、1985年から1990年の5年間、経済的、社会的に、「カオス」と呼ばれた地獄の様な世界になり、後世、人々は「ブラジルの失われた5年間」と呼んだ。
それを引き起こしたものは、「ハイパーインフレ」であった。
その5年間のハイパーインフレ(年率)の数字を示します。
1987年;365%
1988年;933%
1990年;1795%
これを読んでも、読者にはピンとこないが、以下の話を読めば、大体分かるだろう。
「ある低所得の家庭。工員の夫、食べ盛りの子供3人。
主婦は、毎月切り詰めてやりくりしてきた。
今日は夫が給料日だから、彼女は近くのスーパーで買わねばならぬ品物の値段を、石鹸1個に至るまで細かく書いたリストを作っていた。
彼女は、そのリストの金額を持ってスーパーへ行く。
ところが、昨日の値段が、すでに10%値上がりしている。
主食のコメと豆は減らせられない。
だから、石鹸やトイレットペーパーなどは買えなくなった。
来月のコメと豆の値段は、幾らになるのだろうか?」。
「年間インフレ1795%」は、単純計算で、毎月150%。毎日5%の値上げ。
全くキチガイ沙汰だ。これはインフレだけにとどまらない。
人々の心が、悪魔に変わる。銀行強盗、路上でピストル強奪。
ひったくり、追剥、殺人、売春、高級住宅への押し込み強盗。
あらゆる悪事が、街角で、日常茶飯事的に起こっていた。
政治家は、予算請求額を水増しする。
裁判官は「判決売り」を持ちかける。
ハイパーインフレは、国家滅亡の原因となる。
紙幣を見ると、国民がどれだけ政府を信頼しているか、が分かる。
ハイパーインフレになると、国民は政府を信用しなくなる。
訪日するたびに感心することは、「円」がいつもピカピカで、手が切れる様な紙幣であることだ。
ハイパーインフレになると、紙幣はしわしわで、MARIAなどと恋人の名前が書かれている。紙幣は、国民と政府の信頼感の尺度である。
それでは、ブラジルはいつもインフレなのか? いやそうではない。
国家政策にあまり計画性がないし、その昔、「50年の遅れを5年で取り戻そう!」と言うキャッチフレーズで、首都ブラジリア建設と言う世紀の事業をやり遂げた事が、ブラジルをインフレ体質にしたという事実は認める。
しかしインフレは人間の心の底に潜む「利己心」、つまり、自分だけが良ければ良いという思いが社会一般に広がって起こる。
もちろん、その不安感の種を作るのは、政府である。
「ブラジルの失われた5年」で完全に破壊された国家経済制度を修繕して、平常の経済に回復させたのは、FHCと愛称されたカルドーゾ大統領である。
彼はハイパーインフレの原因は、トランプゲームの「ババ抜きゲーム」だと見抜いて、最後に「ババを引くのは誰か」と決めて、「レアルプラン」を作って、それを確実に実行して行った。
そして数年で、あのインフレ怪獣を撃ち殺した。
その結果、現在の通貨の「レアル」が、約20年間、国際通貨として信任されている。
その事実から考えて、ブラジルのインフレは、「コストインフレ」などの経済学的問題ではなく、「人間の心」という極めて身近なところに、その解決があったと言える。
それでは、ブラジルには今後ハイパーインフレが起こらないのだろうか?
「恐らく起こらないだろう」と思う。
何故かと言うと、「IT」の普及のお陰で、世界の情報が瞬時に入手出来て、よって、人々が賢くなった。
だから、何が正しいかと言う判断基準を多くの人々が持てる様になった。
また、世界的な金余りで、必要な資金は、個人レベルであれ、国家レベルであれ、簡単に集めることが出来る。
つまり、「自由競争」を経済活動の基礎に置けば、すべてがうまくいく様に思える。
FHC大統領は、それを実行した。
それを身近な例で書きます。
◎ 今から20年ほど昔のある春の日、Avenida Paulistaに、真っ白な白鳥が舞い降りて来たかの如くに人々は思った。
流れるような美しい車体の車が突然現れ、音もなく過ぎ去って行ったからだ。
すべての人々は、呆気に取られて、歩くのを止めて、その車を見送った。
HONDAの新車を、初めて目にした瞬間だった。
ブラジルの乗用車市場は、武骨なアメ車の独占だった。
無理もない、ブラジルがどうなるか分からない50-60年代に、彼らが進出して来たからだ。
当然市場は、アメ車購入に有利な様に操作されていた。
そしてHONDAを始めて見て、あんな素晴らしい車が世界にあるのだ、俺があの車を持つためには、何をすれば良いのだと考え始めた。
◎ 私の「星雲の志」仲間の東京農大卒の男、当時の農業界ではまだ珍しかった作物、「ニンニク」を苦心して育てて、うまくいった。
大金の儲けとなった。
しかしその儲けは続かなかった。
輸入関税が下がったから、安い中国製のニンニクが輸入されて、彼の市場を取ってしまった。
それはニンニクに留まらなかった。
世界からあらゆる品物がブラジルに殺到した。
身近な例ではコンドームだった。
郵便貨物で簡単に入手出来るから、皆が皆、「見てみろ、カラーコンドームだ、こんなに薄いぜ」と、友人に見せて回った。
高品質の日常品が簡単に入手出来る様になったことで、人々は世界の自由経済が自分たちの生活を良くすることを学んで行った。
資本主義の世界に於いて、「自由競争」はその根幹である。
現在の日本における、「過当自由競争」と思われる様な競争が日本の社会と国家を発展させてきた。そして、ブラジルはそれと同じ競争の社会に入って行きつつある。
果たして、それが正しい政策なのか?
ブラジル人にそれが出来るのか?
何の資源もなかった日本が太平洋戦争に突入、そして敗れた。
その復興の為に、ブラジル人には信じられない国家と国民の努力があった。
それをしていなければ、今の日本は存在しない。
しかし、ブラジルには、日本人にとって想像も出来ない自然資源がある。
広大な国土がある。
余談だが、「失われた5年間」のころ、ブラジル政府は全く金欠になった。
金が要る、しかし、世界のどの国も貸してくれない。
或る日の会議で、ある大臣が発言した、「諸君、俺の意見を聞いてくれ!
アマゾン河口のマラジョ島を売ろうじゃないか。
中国の香港みたいに、大発展をして、我々を助けてくれるかもしれないぞ!」
マラジョ島は、九州の大きさがある。
ゼブラ牛の放牧だけがなされている。
有り余った土地の一つだ。
それはともかく、300年掘っても掘りつくせない露天掘りの「鉄鋼石」マットグロッソ州からどんどん北に広がって行き、世界の人口の胃袋の半分を満たす「大豆トウモロコシ」栽培耕地。
リオの「海底油田」。
国民の人数ほど多くの、黙々と草を食べている「放牧の牛」。
こんな国が、何故日本を自らの経済発展のモデルにせねばならないのか?
それを一つずつ考えていくと、「ブラジルの光と影」が説明されていくと思います。
以上。

長井 一平