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日本ウッドデッキ協会からコラム

ブラジルの光と影 その11

2019年10月14日

「ブラジルの光と影」 (その11)
「風土」と移住者国家                  長井 一平

学生時代、ブラジルの経済と社会の勉強をしていた時、同じころに発見された「北アメリカと南アメリカの現在の国力の違いは、何故起こったのか?」というテーマを仲間と論じ合った事があった。
それ専門の教授の指導があったのでもなく、若い頭と聞きかじりの知識のぶつけ合いだった。
そして、その話し合いは、「清教徒達(ピューリタン)のアメリカの建国への宗教的な強い意志」と、「せっかく発見したブラジルをオランダに侵略させまいと願ったポルトガル皇帝の欲望」との差が、アメリカ南北大陸のその後の発展の差となったと言う極めて「常識的な結論」に終わったことを覚えている。
それに参加していた私はその結果に異論を出せるほどの勉強をしていたのではないが、「新大陸発見以来住み着いた人々の生活環境はどんな風だったのだろうか?」と、まるで結婚前の乙女が、その後の生活を想像する様な、およそ学問的な背景のないチャチな想像をした事も思い出す。
しかし、それ想像する背景はあった。

「風土」、京大教授、和辻哲郎さんの本に強く感化された時期があった。
彼がヨーロッパに出張した時の体験から話が始まる。
60年くらい昔だから、船旅だ、日本を出て、アジアの亜熱帯地域を通り、中東の乾燥熱帯地域を船は進み、そして、温暖地域のヨーロッパに到着する。
その地は彼が、「自然環境が人間に及ぼす影響」を研究するために長期滞在した場所であった。
そして、著書「風土」は語る。
東洋人と西洋人を比較する時、前者は、その思考に於いて「抒情」的であり、後者は「叙事」的である。
日本人は、感情的に物事を捉え、西洋人は、理論的に発想する。
それは何故か? 
日本は、亜熱帯の暴風雨地帯の端に存在する。春夏秋冬の四季の自然に従って生きている。「稲」これは生きていく為の、最も大事な仕事であり、大事に大事に稲を育てていく。
そして、その稲刈りの前日に、突然の台風に襲われる。すべてを失い、無力感に襲われる。
しかし、その強力な台風に対抗することは出来ない。
その台風を起こす不規則な自然と共生することを学ぶ。
ヨーロッパの地においては、日本と同じように、四季があり、人々はそれぞれの自然の流れに従って、働き生計を立てる。
には種まきを、夏には降雨が種子を育て、そして秋には収穫、といった様に、すべて規則的な自然の摂理で生きている。
交尾をした家畜は、計算した時期に出産して、出来た子豚を売って家計の助けとなる。
年初、計画した様に農作物は育ち、収穫されて、その収入に従って、翌年に植え付ける種や肥料を購入する.すべてが計画通りに進む。だから、自然はコントロール出来るものだと考える。
この点に於いて、日本人と西洋人の考え方の差が出来てくる。 
日本人は、俳句などを自らの生活の中に取り入れて、凶暴な台風には頭をさげて、すべてそれが過ぎ去るのをじっと待ち、柔らかな春の訪れには、村民すべてが野に出て心から自然の素晴らしさを祝う。
自然が作り上げる風土は、その中に住む人間の「心」を作り上げる.。

太平洋戦争に負けた日本人にとって、西洋人はすべてにおいて「先進的」であり、「合理的」であり、日本人は西洋から学ばねばならないという社会風潮があった。
図書館には、きれいな挿絵の入った世界児童文学全集が並び、金髪の妖精の様な少女が主人公のお話に満ちていた。
少女と少年が、放課後の教室で、小刀でお互いの小指に切り傷をつけ合う。そして、うっすらと血が滲む切り口を合わせあって誓う。
「これで僕たちは、心が繋がったんだよ。
大人になったら結婚するのだよ」。 二人の子供の会話から生まれ出てくる世界は、終戦後、10年近くになっていても、まだまだ貧しかった日本の庶民の生活からは、想像も出来ない夢の世界だった。
「ああ。これが西洋社会なんだ」と、丸刈り頭の坊主は、ポカンと口を開けて、羨むのみだった。

そして時が経ち、大学に進んだ頃、和辻さんの本に出合った。その頃には、日本やブラジルの知識も身に付き、西洋と日本以外にも別の文化があると知る様になった。
特に、アンデス文化は、西洋や東洋にはない神秘性を持ち、好奇心に燃えた若者を引きつけた。
「そうか、風土が人間の心を作り上げるんなら、アンデス文化が作り上げる風土は、どの様な人間社会を作ったのだろうか?」
日本とヨーロッパしか知らなかった純粋な青年が考え始めたブラジルへの自分の将来への夢の始まりだった。

あれから約50年の年月が経過して、あの頃の純粋な青年は、ブラジルの大地にどっしりと腰を下ろし、最近の10年はアマゾンの木材地帯に一人再移住して、アンデス文化が作り上げたのかも知れない未知のアマゾンの風土の中で、素晴らしい木材人生を送っている。ところが、アマゾンの大河が悠然と流れる様な毎日の人生の中で、とんでもない出来事が起こった。
アメリカのCalifornia州の端っこの町、SANDIEGO市で、約10日間の市民生活を体験できる機会が出来たのである。
私の友人のブラジル人が、SANDIEGOで長滞在するのだが、「一緒に行かないか?」と誘ってくれたのだ。彼の妹2人がアメリカ人と結婚してすでに住んでいる。
そして、久しぶりに訪問して、現在のアメリカの様子を知りたい、と言う。
「アメリカの市民生活」、それは死ぬまでにどうしても経験しておきたい事だった。
日本の亜熱帯風土、ヨーロッパの温帯風土、そして、ブラジルのアンデス風土、それらをすべて経験してきて、足りないのは、「アメリカの風土」、つまり世界大国となったアメリカに住む人々は、その自然環境の中で、ピューリタンの精神をもって、どの様に国家をつくって行ったのか?を知りたかった。
同じ頃に新大陸発見となったブラジルは、「混血によって国を作り、混血によって国を発展させる」と言わんかの如く、「凡庸な」とも表現出来るような穏やかな世界を作って来た。
それ出来る背景には、国民の数を超える牛肉と広大な穀物畑が国民の食を支えている、正にその時に、日本では明治維新が起こり、アメリカとの戦争に敗れて、「国破れて山河あり」の必死の国情だった。
凡庸な気持ちでは、世界の中で生きて行けない。
そして、アメリカは、ブラジルと同じような年数の中で、世界の大国になって行った。彼らは、どの様に国家の目標をつくり、国民一人一人はどの様に考えて生きて来たのだろうか??

清教徒の若者たちは、自分たちの国家を作るのだ、と、燃えに燃えた日々をすごしただろう。
その思いは、開拓精神に繋がる。荒野を耕し、土着民を皆殺しにしながら、自分の土地を切り取り放題に広げて行きながら、西部へ、西部へと幌馬車を進めていった。
その過程の中で、自由主義とフロンテアスピリットが生まれていった。それに、資本主義が加わり、アメリカ人の精神的バックボーンとなった(と、私は思う。。。)。

話は飛ぶ。SANDIEGOの集まりには、ブラジル系アメリカ人、純粋のアメリカ人、メキシコ人、飛び込みのフランス人と、まるでミックスサラダの様になった。
アルコールが入って、4か国語が飛び交う。
ブラジルでのミックスサラダは、慣れているが、今回は皆が皆、初対面だ。
彼らもまた、なんでこの席に日本人がおるのだろう?と、不思議に思っているだろう。
酒が入り、雰囲気がブンブンまわりだした。
その酒の肴に、私は立ち上がって、自己紹介と40数年にわたるブラジル人生を語った。仮にその場が、日本の40年ぶりの同窓会であっても、同じ内容だったと思う。
40数年間、青雲の志に燃えた一人の青年のブラジルでの苦闘を語り、子供たちも素晴らしいブラジル人に成長した事を喜び、76歳になった現在の自分に満足して、その様な自由な人生を与えてくれたブラジルに感謝する内容であった。
私は日本語で語り、その後、ブラジル語で繰り返した。間髪を置かず、私のブラジル人生を熟知する帰化アメリカ人が、流暢な英語で翻訳してくれた。
誇張気味の内容だった。
20人ほどの参加者に、純粋のアメリカ人が7-8人居た。突然飛び出した日本語に驚き、当然のスピーチに面食らった様子だった。彼らの表情に、何か異常なものが、戸惑いの様な物が浮かんでいるのを感じた。
「何故だろう??」
穏やかな飲み会は終わった。SANDIEGOに住む日本人は、多くないようだ。「俺の話、良かったのかな?」。
その時、一人のアメリカ人が握手を求め、「あのスピーチは良かったよ」と、ポツリと言った。突然の英語だったから、それに切り返す事も出来ず、「THANKS」と答えるのみだった。
其の後で、大柄な恰幅のアメリカ紳士と言葉を交わした。Ameica Airlineの機長だと聞いていた。彼も同じ様に、Good Speech … congratulation」 と感想を述べた。
2人のアメリカ人とは、この日、初めて出会った。
会話もしていない。
それなのにどうして、Good Speechなんて、言うのかな??
友人のブラジル人が説明してくれた。
「アメリカ人の誇りは、アメリカ開拓(西部開拓)のフロンテア精神と自由主義なんだ。
今日の貴方のスピーチには、その二つが入っている。しかも、地球の裏から、ブラジルへ移住して、それをやった事に対する尊敬の気持ちが、言葉となったのだよ」。

トランプ大統領が、貿易戦争で中国と対抗している。
ヘンス副大統領の演説で火をつけられて、貿易戦争であったものが、アメリカ国会全体の、対中国への対抗心へと拡大している。
そして、アメリカ国民のひとりひとりが、世界のリーダのアメリカの国民であることを誇りに思っており、それが西部開拓のフロンテア精神と自由主義に由来していることを、潜在的に理解している。
和辻哲郎教授は、その「風土」において、日本人とモンスーン気候の関係を指摘した。 
それは自然現象だけに留まらず、日本人の我慢強さ、勤勉、謙虚な心に繋がってゆき、鎌倉時代の侍たちの、「名こそ惜しけれ」と武士道の最も大事な、「名誉を重んずる心」となった。
つまり、「風土」は、人間の心を作ってきた。

その様に考えるなら、アメリカにも「風土理論」が、適用できると思う。
つまり、東西5000kmに及ぶアメリカ国土を、西へ西へと開拓していったそのフロンテア精神の生まれたのは、その広大な国土があったからだ。
そして、「日本人の侍の精神」に相当するものは、「ピューリタン達の強い宗教心」だったのだと思う。

いずれにしろ、広い国土も、温暖な気候も、その中に住む国民の自覚心がしっかりしていないと、立派な国家は生まれないことは、現在の混迷する中国を観察していると、人間の心が如何に大事であるか!!を、つくづく思い知らされた。予想もしなかったアメリカ文明と社会を覗き見ることが出来た素晴らしい機会だった。
以上。